ー北海道での暮らしについて教えてください。
ご主人 農家というのは基本的に自営業なんですね。ですが、平成11年に我が家と数軒の農家とで一緒に農事組合法人を立ち上げて法人化し、月給制で農家を営んでいました。
奥様 私も農家の生まれなのですが、当時は月給制で農業をするなんて考えられなくて大きな変化でした。
ご主人 自営ならトラクターやトラックも1家に1台必要です。でも、5軒が集まればトラックもトラクターも共用できてコストカットできるのでメリットも多いんです。ですが、当時はなかなか周囲の賛同を得られなくて「2、3年で潰れるよ」と言われたこともありました。両親からも反対もされましたが、なんとか説得してスタートしてもう25年続いています。
ー25年!お二人とも今回の移住に限らずチャレンジ精神が旺盛なのですね。
奥様 チャレンジという言葉は好きですね! 常にチャレンジしてきました。
ご主人 野菜は収穫量が1割減ると価格は倍になりますし、収穫量が1割増えると半額になってしまいます。野菜づくりとはそういう宿命にあるものですが、技術の高い農家であれば病気や虫にも負けずしっかりと収穫ができるのですよ。
ー同じ野菜を作っていても差が出るのですね。
奥様 それが農家の面白いところであり、頑張りがいのあるところです。
ーお仕事はお忙しかったですか。
奥様 働く時間が長いですね。極端に言うと休日がない。
ご主人 ここ数年は労働環境も変わってきましたが、基本的には雨の日以外は毎日働きます。冬場は町内の除雪もありますし、年に何度かホワイトアウトもあります。
奥様 雪の多い地域なので除雪は必須ですが、5年くらい前に、主人が屋根の除雪作業をしている時に氷と一緒に落ちてしまったんです…。
ご主人 頚椎の圧迫骨折で40日入院しました。それから1年後に、今度は検診で見つかった心臓疾患の手術。またその半年後に冠動脈の手術をすることになり、合計3回入院しました。今は半年に一度の検診で先生から「大丈夫」とお墨付きをいただいています。
奥様 ただ、その頃はもう移住することだけは決めていたので、主人はへこたれませんでしたね。二人とも仕事を続けながら「絶対大丈夫!」と、とにかく前に進むことしか考えていませんでした。
ご主人 自覚症状もなく、全身麻酔をしての手術だったので痛みもありませんでした。幸い先生が早めに見つけてくださったのもラッキーでしたね。
ー5年前には移住を決めていたのですね。何かきっかけはありましたか?
ご主人 10年前、帰省中の娘から何気なく言われた「お父さん、お母さん。将来どうするの?」という一言がきっかけでした。
奥様 うん、たった一言だったね。私も主人も日々懸命に働いていたので、それまで将来のことを考えたこともなくて。でも、娘からそう問われ、「自分たちはこれからどうするんだろう…?」と、ふと立ち止まりました。といっても、当時は私たちもまだ50代でしたし、その場で何か話し合ったわけでもなかったので、たぶん娘は軽い気持ちだったのだと思います。でも、私たちにとっては、とても重みのある一言でした。将来の方向性を示唆してくれましたね。
ご主人 北海道の冬は厳しいですから「ずっとここで暮らし続けるのは難しいかもしれない。どこかに移ったほうがいいのかもしれない」と考えるようになりました。
奥様 二人の娘が、大学進学と同時に上京していたので「移り住むなら都内かな」と少しずつ具体的に考えるようになりました。
ー娘さんの上京後も会う機会は頻繁にありましたか?
奥様 折々に帰省してくれていましたし、「好きなことをしてほしい」と思っていたので、娘たちが進学した頃は、頻繁に会えなくても寂しい気持ちはあまりありませんでした。ところが、出産後、孫を連れて帰省した娘から「今後は北海道に戻る機会も減ると思う」と言われたことがあって。そのことばがキツかったですね。孫ももちろんですが、大人になった娘たちも本当に可愛くて。孫を連れてみんなで帰ってくるのを何日も前から心待ちにしている自分がいるんですよ。一緒にいることがうれしくて楽しくて、帰省の日程に合わせて休みを取ったりして。そんなことを思っているうちに「いっそのこと、近くに住めばもっと会えるんじゃない?」というシンプルな結論に辿り着きました(笑)。娘に相談すると歓迎してくれたので、「じゃあ上京しよう!」と。きっとお金はたくさん必要になるでしょうから「資金を頑張って貯めよう!」と、夫婦二人の目標が定まりました。
シンプルに捉えて、前を向いて進む。ご夫妻のそうした考え方が移住を実現する原動力でした。とはいえ先立つものも必要!ということで、次回は資金計画について。リタイアが近づく世代の貯蓄方法は、子育て世代のそれとは、また違うようです。
>>これからの暮らし方 移住編
#02「老後の資金は ありますか?」